学校と入試のいま

「高1で探究っていう授業が始まったんですけど、正直、うちの子が何をしているのか、よく分かりません。高2の終わりには発表みたいなこともするらしくて。道徳みたいなことをするくらいなら、その時間を数国英理社にあててほしいくらいです」
親世代から、この話をよく聞く。
無理もないと思う。探究という言葉が高校に入ってきて、まだ数年である。そして、いま高校生の親である世代は、探究の授業を一度も受けていない。自分が経験していないものを時間割の中に見つけて、価値を測れというほうが難しい。
ただ、この時間の位置づけは、親世代が想像しているものとは、かなり違う。
この記事の要点
高校の探究は、目標の条文そのものが書き換わっている。「自己の在り方生き方を考える」が、結果から前提へ移った
国は「探究」と「探究的な学び」を、定義で分けた。分かれ目は、テーマを自分で決められるかどうか
2026年8月の審議まとめ素案に、「マイ探究」という言葉が新設された
大学入学者の53.6%は、すでに総合型選抜・学校推薦型選抜で入っている
制度は、すでに正しい方向を向いている。ではなぜ、現場では起きないのか
総合的な探究の時間とは、何か
制度から確認する。高等学校では、2022年度の入学生から「総合的な探究の時間」が必修になった。小学校は2020年度、中学校は2021年度から、「総合的な学習の時間」の中で探究的な学びが重く位置づけられている。※1
注目してほしいのは、高校だけ名称が「学習」から「探究」に変わったことである。これは表現の変更ではない。目標の条文そのものが書き換わっている。
旧課程(平成21年告示)の「総合的な学習の時間」は、こう定めていた。
横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の在り方生き方を考えることができるようにする。※2
現行課程(平成30年告示)の「総合的な探究の時間」は、こうである。
探究の見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。※2
二つを並べると、位置が入れ替わっているのが分かる。旧課程では「自己の在り方生き方を考える」が文末にあり、学習の結果として置かれていた。現行課程では、それが文の前半に移り、探究を行うときの前提になった。
つまり、自分の在り方を考えることは、探究のゴールではなく、探究の入り口になった。何を問うかは、その子が何者であるかと切り離せない。制度は、そう設計し直されている。
道徳に見えるとしたら、それは半分当たっている。ただ、道徳が「正しさを考える時間」だとすれば、探究は「自分が何に引っかかるのかを、調べて確かめる時間」である。似ているのは入り口だけで、出口はまったく違う。

その文章は、いまも、書き換えられている。
国は、いま何を問題にしているか
2026年8月31日、中央教育審議会の教育課程企画特別部会が、次期学習指導要領に向けた審議まとめの素案を公表した。※3 探究について、かなり踏み込んだ記述がある。
まず、成果として挙がっているのはこれである。
探究的な学びに積極的に取り組んだ児童生徒は教科等への学習意欲など様々な項目に対して肯定的に回答する傾向を示す
探究に取り組んだ子は、教科の学習意欲も高い。冒頭の「その時間を数国英理社に」という願いに対する答えは、すでに調査結果として出ている。探究と教科は、時間を奪い合う関係ではない。
そのうえで、課題の指摘は厳しい。
インターネット上の情報やAI要約を単に切り貼りするだけの「調べ学習」に終始したり、あらかじめ学校側が設定した総括的なテーマの枠組みに子供たちを当てはめることで、一人一人の「好き」や「得意」といった個人の興味・関心や問題意識が十分に考慮されなかったりする例も見られる
AI要約の切り貼り。学校が決めた枠に当てはめる。個人の関心が考慮されない。国が自ら、こう書いている。

テーマは、誰かからもらったものではない。
そして、この素案でいちばん重要なのは、言葉の定義が新しく引かれたことだ。
「課題」「プロセス」「成果」のいずれについても学習者が自己決定できる裁量があるものを「探究」、「課題」以外のいずれかの要素について裁量があるものを「探究的な学び」と整理している
読み替えるとこうなる。テーマを自分で決められないなら、それは「探究」ではない。「探究的な学び」にとどまる。国が、そこに線を引いた。
さらに、素案は新しい呼び名も用意した。教師が共通のテーマを設定する「テーマ探究」に対して、一人ひとりが自分でテーマを選ぶものを「マイ探究」と呼ぶ。そのマイ探究の中に、「研究系」「行動系」と並んで、新たに「創作系」という区分が加わった。
素案は、創作系についてこう書いている。
特に「創作系」の探究は、自らの人生を舵取りしていく上で、デジタル技術の恩恵を活用しつつ、興味・関心に基づく初発のアイデアを試行錯誤しながら作品を創り上げる創作者としての経験にも繋がる
個人を起点に課題を立て、デジタル技術を使って、作品を創り上げる。国が次の10年に向けて増やそうとしているのは、この形の探究である。
大学入試も、すでに変わっている
進路の側も動いた。
文部科学省の調査によれば、令和7年度に大学へ入学した学生のうち、総合型選抜が19.5%、学校推薦型選抜が34.1%。合わせて53.6%となり、一般選抜の46.4%を上回った。※4
すでに過半数が、筆記試験の点数以外の評価を通って大学に入っている。そして総合型選抜で見られるのは、何に関心を持ち、それをどこまで掘り、どうカタチにしたかである。探究の時間は、その材料をつくる時間でもある。
受験のために探究を削る、という判断は、入試の現在地から見ると成立しにくくなっている。
それでも、現場では起きていないこと
ここまでが制度の話である。ここからは、現場の話をする。
私は、探究に熱心だと評価される複数の高校に、講師として入ってきた。そこで見たことは、素案に書かれている課題と、ほとんど同じだった。
認定NPO法人カタリバが高校教員340名に行った調査では、探究の推進に課題を感じている教員が9割を超えた。この調査の対象は「全国高校生マイプロジェクト」に取り組んだ学校の教員である。探究に熱心な学校で、この数字が出ている。※5
なぜ、こうなるのか。理由は二つある。
一つ目は、方法が渡されていないことである。
探究は、調べて、まとめて、発表する時間だと受け取られがちだが、本来これは研究である。研究には方法がある。問いの立て方、調べ方、確かめ方。とりわけ問いをどう立てるかは、教育の現場で研究論文の主題になるほどの論点であり、教える側にとっても簡単ではない。※6
比較を一つ置く。論理的思考を仕事の中心に置く職種、たとえば経営コンサルタントでは、その訓練だけで新人に3か月から半年をかける。管理職に上がるときにも、もう一度やり直す。当然、日々の実務でも要求され続ける。それだけの時間を要する技術だということである。
高校の探究の場で、方法の学習に割ける時間は、概念の紹介にとどまることが少なくない。紹介すらないまま「問いを立てなさい」となる場面も見てきた。方法を渡さずに研究させれば、調べ学習になる。これは教員の力量の問題ではなく、時間の設計という構造の問題である。
二つ目は、自己理解に届かないことである。
現行の条文は「自己の在り方生き方を考えながら」を前提に置き、素案は「個人を起点として課題を設定する」ことを求めている。何が気になるのか、なぜ気になるのか。ここが探究の入り口である。
ところが学校でグループを組むとき、生徒は仲のいい友人と組み、多数の意見に合わせる。これも何度も目にしてきた。テーマは決まる。作業も進む。けれど「自分は何に引っかかっていたのか」には、たどりつかないまま終わる。
自己理解にも、トレーニングが要る。美術大学の制作現場や、企業が新規事業の構想を描く現場では、内省と呼ばれる時間を意図的に取り、ジャーナリングのような方法で、自分が何に反応したのかを言葉にしていく。時間をかけないと出てこないからである。
一人の「これが気になる」に個別に付き合うこと。40人を一つの枠で扱う設計の中で、これは構造的に難しい。制度が正しくても、時間が足りない。
だから、「to the Best.|探究×AIスクール」のような場所がいる
to the Best.は、1クラス6名である。グループでの共同作業を主にしない。一人ひとりが自分の問いを持ち、1テーマを最後まで通す。1周まわるごとに、成果物が1つ残る。
素案の言葉を借りれば、当スクールがやっているのは「マイ探究」であり、そのうちの「創作系」である。個人を起点に課題を立て、デジタル技術を使って、作品を創り上げる。国が次に増やそうとしている形を、私たちはもう始めている。
問いから発表まで、6回でひと巡りする。そのうち2回は、全員に向けて教える回にあてている。1回目に社会のいまを知り、3回目に考える道具を渡す。この2回を続けて置かないのは、考える道具は、使う場面の直前に渡さないと身につかないからである。残る4回で、問いを立て、AIを使い倒して調べて確かめ、カタチにし、人前で発表する。
最初に問いを立てる回に、いちばん時間をかける。ここが自己理解そのものだからだ。グループの多数決では、決してたどりつかないところである。
このサイクルを何度も回して育てたいのは、二つで一組の力である。
自分が何に引っかかるのかを、自分で見つけられること。そして、見つけたものを、人に渡るカタチにできること。
前半がなければ、テーマは誰かからもらうことになる。後半がなければ、頭の中で終わる。どちらが欠けても、探究にはならない。
この二つがそろった状態を、外から見た大人は「人を動かす力」と呼ぶ。子どもがやりたいと思うことほど、時間も、お金も、行ける場所も、大人が握っている。だから「なぜやりたいのかを説明する力」と、「頭の中のものをカタチにする力」が要る。理屈と実物がそろったとき、まわりはそれを止める理由を失っていく。総合型選抜・推薦入試で問われるのも、結局はこの力である。AIは、そのための道具として使う。
ただ、大人を説得できることは、目的ではない。結果である。
何度も周を重ねた先にあるのは、自分にとっていいと思える道を自分で見つけ、筋道を立てて進んでいける状態だ。私たちはそれを、Bestと呼んでいる。
制度は、すでに正しい方向を向いている。足りていないのは、一人に付き合う時間だけだ。
それは、学校の外で補える。
私たちは杉並区・阿佐ヶ谷から始める。ここで一人ずつ、自分の問いを持った子を出していく。そして、このやり方を杉並から外へ広げていく。
探究は、授業科目ではない。生き方そのものだ。
文=石黒 大洋(創業者)
よくある質問
Q. うちの子の高校は、探究にあまり力を入れていないようです。不利になりますか
学校の熱心さと、その子の探究の質は、必ずしも一致しません。本文で触れたとおり、探究に熱心だと評価されている学校でも、9割の教員が課題を感じています。逆に、学校が手薄でも、本人の問いがはっきりしていれば作品は残ります。見るべきは学校の姿勢ではなく、その子が自分でテーマを決められているかどうかです。
Q. テーマは何でもいいのですか。将来の役に立つテーマのほうがいいのでは
何でもいいです。むしろ、役に立つかどうかで選んだテーマは、途中で止まります。入り口で問われるのは価値ではなく、引っかかりの強さだからです。そして、深く掘ったものは、テーマが何であれ問いの立て方と調べ方が残ります。残るのはテーマではなく、方法のほうです。
Q. 探究でやったことは、大学入試で実際に使えるのですか
使えます。総合型選抜の出願書類では、何に関心を持ち、どこまで掘り、どうカタチにしたかを書くことになります。そのとき、グループで資料をまとめた経験と、自分で問いを立てて作品まで持っていった経験では、書ける量がまったく違います。ただし、合否を約束するものではありません。
Q. 中学生や小学生のうちから、できることはありますか
あります。高校で突然「問いを立てなさい」と言われて困るのは、それまで問いを立てた経験がないからです。家庭でできるのは、子どもが「なんか変だな」と口にしたときに、それを流さないことです。答えを教えなくていい。「確かに変だね」と返すだけで、問いは残ります。
脚注
※1 文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」(高等学校は2022年度入学生から年次進行で実施)、「小学校学習指導要領(平成29年告示)」(2020年度全面実施)、「中学校学習指導要領(平成29年告示)」(2021年度全面実施)
※2 文部科学省「高等学校学習指導要領比較対照表【総合的な探究の時間】」(改訂=平成30年告示/現行=平成21年告示)
※3 中央教育審議会 教育課程企画特別部会「次期学習指導要領等に向けた審議まとめ(素案)」(令和8年8月31日・資料1)。引用は第7章(2)「情報活用能力を基盤とした質の高い探究的な学びの実現」および第1部第2章(各教科等と総合的な探究の時間の連携)
※4 文部科学省「令和7年度 国公私立大学・短期大学入学者選抜実施状況調査」
※5 認定NPO法人カタリバ「高校の探究学習『必修化』から2年、校内組織の設置が8割にのぼるも、教員の9割が依然『課題を感じる』。全国教員向け調査」(2024年5月公表/調査期間2023年12月〜2024年1月/n=340)
※6 福井県教育総合研究所 紀要 第131号「総合/探究のリサーチクエスチョンの立て方の再検討 ——『高志学』での実践をふりかえって」
※本記事に使用している画像は、生成AIによるイメージです。

